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BC039「現代のインターネット環境と退屈の哲学」
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BC039「現代のインターネット環境と退屈の哲学」

今回は三冊の本を紹介しました。

書誌情報はAmazonなどで確認してもらうとして、話の要旨をまとめておきます。

導入

なぜ「退屈」に注目するのか?

「どう生きるのか」とは、「どう時間を使うのか」にパラフレーズできる。そして現代では「有意義なこと」に時間を使ったほうが言い、という風潮がある。でも、はたして本当にそうなのだろうか。そんな天の邪鬼な観点から「退屈」に注目する。

一つの前提として、この社会は「資本主義」にどっぷり浸かっており、それ以外の社会をうまく想像できなくなっている、という点がある。ITツールやネットメディアは私たちに「環境」を提供してくれているが、それが「正しい」のか(あるいは適切なものなのか)は、判然としない。むしろ、あまり良くないのではないか、という懸念も多い。

その観点も含めて、退屈の哲学を用いて考えていきたい。

『退屈とポスト・トゥルース SNSに搾取されないための哲学 (集英社新書)』

[マーク・キングウェル, 小島和男, 上岡伸雄]の退屈とポスト・トゥルース SNSに搾取されないための哲学 (集英社新書)

簡単にまとめれば、これまでの「退屈の哲学」を振り返りながら、現代に特有の「退屈」状況を考察し、その問題点を指摘する一冊。

ポイントは、退屈にいくつかの区分を設定したこと。

  • 哲学の起源としての退屈

  • 精神分析的退屈

  • 政治的退屈

  • 「創造的」退屈

  • ネオリベラル的退屈

一番最後の」「ネオリベラル的退屈」は、著者が本書で設定した用語。その中核をなすのが「インターフェース」という概念。IT用語としては一般的だが、著者は「入り口(しかないもの)」という含意で用いている。人を誘い込む入り口でありながら、そこからはどこにもいくことができない。人はその場所に留まり続けることになる。

TwitterやYouTubeなどでも、特に何かを見たいわけではないのに、延々とスクロールしているときがある。そうしたとき、私たちはネオリベラル的退屈にはまりこんでいる。

その退屈は、実際は「手持ちぶさた」なわけではない。何かをしているし、ちょっと興奮もしている(ドーパミンが出ている)。しかし、深い満足感も納得感もそこにはなく、むしろ少しのいらだちや妬みが心に忍び込んでくる。それを解消するために、再び新しい投稿を求めてスクロールしたり、いらないものをスワイプで消したりしていく。

まさに現代的な「退屈」の在り方であり、そういう退屈に入り込んでいるとき、「退屈とは何か」「自分とは何か」「人生とは何か」という(哲学的な)問いに人は向き合うことがない。その意味でも、「どこにも出口がない」退屈である。

『暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)』

今回の中核をなす本で、面白いのでぜひ読んでいただきたい。

著者はさまざまな考察を繰り広げるが、一番のポイントはハイデッガーの退屈論を引き受けながらも、それをさらに展開させている部分。ただし、そこに至るまでに「退屈」に関する前提をいくつか押さえておく必要がある。

  • 人類は最初移動していたが、途中から定住するようになった

  • 移動する生活では毎日新しい風景に出会い、認知的処理を行わなければならなかったが、定住生活ではそれが不要になった

  • つまり、定住生活では認知エネルギーが余ってしまう→退屈が感じられる

  • 私たちは「退屈」を気晴らしでやり過ごそうとする

  • 気晴らしは熱中できるものであれば何でも構わない(苦しいものであっても人は選択する)

  • むしろ、楽しいものを選ぶためには訓練された能力が必要かもしれない

  • かつての有閑階級はそうした能力を持っていた(暇はあるが退屈ではない生き方があった)

  • そうした能力を持たない人は、苦しいものを選ぶしかなくなる

  • ただ、どちらにせよどんな気晴らしも効果がない根源的な退屈がある

  • 「なんとなく退屈だ」がそれだ

  • それは根源的であるがゆえに気晴らしでやり過ごすことはできず、私たちはその問いに直面せざるを得なくなる

  • そこから哲学的な思考が始まる

  • だから、そうした退屈を通り抜けて決断せよ、それが人間が自由であることだとハイデッガーは言った

  • しかし、著者はその点を問題視した上で、さらに退屈についての論を深めていく

ここからの展開が非常にスリリングである。環世界と人間の自由の話も面白いので通読されたし。

『何もしない』

[ジェニー オデル, 竹内 要江]の何もしない

時間の関係であまり取り上げられなかったが、本書も非常に面白く、「奇妙」な一冊。

「何もしない」というタイトルであるが、本当に何もしないことを(つまりサボタージュを)進めているわけではない。

ある種の「効果的」な行為を行わない、というくらいのニュアンス。結局のところ「効果的」とは、ある基準で測定可能な行為であり、そういう単純な行為は容易に資本主義にとらわれてしまう。だからこそ、「何もしない」。意義ある行為をしないことで、結果的に意義ある行為にたどり着く、というちょっと禅的な感じもある。

「生産性」ばかりを求めると、私たちは失敗する。考え方が単純化し、二項対立にとらわれてしまうからだ。だから、そこから距離をとる必要がある。

資本主義に投げやりになるのではなく、かといってそのゲームに従順になるわけでもない。資本主義の中にいながらも、その外を想像できるようになるために。

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面白かった本について語るポッドキャスト&ニュースレターです。1冊の本が触媒となって、そこからどんどん「面白い本」が増えていく。そんな本の楽しみ方を考えていきます。