今回はオランダのジャーナリスト:ルトガー・ブレグマンによる『Humankind 希望の歴史』を紹介します。
ハードカバーで上下巻と若干手に取るハードルが高い本ですが、それに見合う価値がある本です。
概要
目次は以下。
上巻
序章 第二次大戦下、人々はどう行動したか
第1章 あたらしい現実主義
第2章 本当の「蝿の王」
Part 1 自然の状態(ホッブズの性悪説 VS ルソーの性善説)
第3章 ホモ・パピーの台頭
第4章 マーシャル大佐と銃を撃たない兵士たち
第5章 文明の呪い
第6章 イースター島の謎
Part 2 アウシュヴィッツ以降
第7章 「スタンフォード監獄実験」は本当か
第8章 「ミルグラムの電気ショック実験」は本当か
第9章 キティの死
下巻
Part 3 善人が悪人になる理由
第10章 共感はいかにして人の目を塞ぐか
第11章 権力はいかにして腐敗するか
第12章 啓蒙主義が取り違えたもの
Part 4 新たなリアリズム
第13章 内なるモチベーションの力
第14章 ホモ・ルーテンス
第15章 民主主義は、こんなふうに見える
Part 5 もう一方の頬を
第16章 テロリストとお茶を飲む
第17章 憎しみ、不正、偏見を防ぐ最善策
第18章 兵士が塹壕から出るとき
エピローグ 人生の指針とすべき10のルール
全体を通して「人間とは何か」が考察されていく。肝となるのは、"ほとんどの人間は本質的にかなり善良だ"という主張なのだが、しかし現代社会はそれとは逆の想定で制度が作られている。それはなぜか。その疑問についてさまざまな領域を渡り歩きながら論考していく。
本書が手を伸ばしている領域は実に広い。
思想/哲学
ホッブズ VS ルソー
ジャーナリズム
第二次世界大戦
リアル「蝿の王」
文明論
イースター島の歴史
進化生物学
ホモ・パピー
心理学/行動経済学
スタンフォード監獄実験
ミルグラムの電気ショック実験
キティの死(都会の傍観者)
経営・統治論
テイラー
マキアヴェリ
簡単に列挙しただけでもこれだけある(実際はもっと多い)。しかも、単にさまざまな領域を論じているだけでなく、これまであたり前だと思われていた認識について、「それは本当なのか?」という問いを行い、著者自らが反論している。それはたいへん勇気がいる言論であろう。
倉下メモ
二つ大切な話があります。
まず「なぜ私たちは人間を悪者だと考えるのか?」という点。これは、人間が「ネガティブな情報」に反応するからでしょう。ポジティブな情報よりもネガティブな情報の方が、私たちの注意を強く引きつけますが、「人間が悪しき存在である」という情報ほどネガティブな情報はないでしょう。根源的であり、再帰的な情報です。
だから私たちはニュースメディアをつい見てしまう傾向がありそうです。そうして自分の「信念」を強固にしていくのです。
そうして確立された「信念」が、現実的に力を持ってしまう、というのが二つ目の大切な話です。本書ではプラセボ効果/ノセボ効果やピグマリオン効果/ゴーレム効果などが紹介されていますが、「信じたことが、結果に影響を与える」というのは(いささかスピリチュアルな響きがあるものの)無視できない話でしょう。
緊張しすぎて力が発揮できない、心身症、疑心暗鬼によるコミュニケーションの不成立……
こうした出来事は、「行動」だけを見る視点ではまったく見えてきません。どんな信念を持っているのかが、つまり「心」が重要な意味を持つ、ということです。行動主義は科学的な分析には秀でていますが、しかしそれは現実の状況を過剰にモデル化する経済学と同じ危うさがあるのかもしれません。
『知っているつもり』の回でも紹介しましたが、人間は自分の「外」にある情報を利用して思考します。他人の知識が使えるのもそうですし、他者に共感を覚えるのもそうです。もうこの時点で、利己主義が想定する「自分のことしか考えない」はまったく当てはまりません。むしろ私たちは、常に自分以外のことを考えている生き物とすら言えるでしょう。
しかし、資本主義、あるいは過剰な個人主義は、そのような人間の思考の傾向をまったく無視しています。人間観がかなり偏ってしまっているのです。
人間の行動が「心」に影響を受けるのだとしたら、「人間が人間のことをどう考えているのか」はきわめて重い意味を持つでしょう。そうした「人間に関する認識」の再構築がこれから始まっていくのかもしれません。
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