今回は、「短歌を学ぶ」をテーマに語りました。
倉下は、基本的にことばを使った表現(文芸)に興味があり、いくつかは自分でも行っているのですが、「短歌」とだけは今まであまり仲良くなれていませんでした。学校のクラスで、なんとなく気になっているけども話しかけられないでいるクラスメイト、みたいな距離感です。
そんなとき、浦川通さんの『AIは短歌をどう詠むか』を読み、”短歌らしさ”をどう作っていくのかという模索を知ることができました。生成AIに短歌を詠ませられるようにする試行錯誤は、そのまま人間がいかに「短歌らしさ」を立ち上げていくのかの知的なプロセスの探求に重なるのです。
すでに短歌に親しんでいる人が、もっと短歌がうまくなるように、という「初心者向け」ではなく、そもそもとして「短歌らしさ」という感覚──認知的なスキーム──がまだ十分に育まれていない人がなんとかその入り口に立とうとするという「入門者向け」として、『AIは短歌をどう詠むか』はとても役立ちました。
そして、その延長線上に穂村弘さんの『はじめての短歌』も位置づけられるのですが(詳しくは本編をお聴きください)、本書から学んだことはもっとラディカルな姿勢でした。いかに「社会的」なものとは違う価値を立ち上げるのか。これは短歌に関わらず、「個人的な制作・創作」全般に通じる話だと感じます。
社会的な通念にしたがって、何かをつくるのではなく、ひどく個人的な価値観で何かをつくること。それを可能にする個人的な制作。
それを可能にするのは、孤独な制作ではなくそれを受け取る人があってこそ、というのは短歌が詠むものであり、読まれるものでもある、という二重性と関わっていると感じます。
今回のメモは以下のページにまとめました。ひどく個人的なページです。












