新年がスタートしました。
年末恒例の「一年の配信を二人で振り返ってみよう」企画の後半戦は年をまたいでの配信です(案外これは良いかもしれません)。
今回は、2025年の7月から11月までの配信を振り返りました。
もしご興味あれば、以下のリンクからそれぞれの配信に飛べますのでチェックしてみてください。
2025年07月01日 BC117『締め切りより早く提出されたレポートはなぜつまらないのか』
2025年07月15日 BC118 いま、あえて芥川賞を読む
2025年07月29日 BC119『ゼロからの読書教室』から考える「本の読み方」
2025年08月12日 BC120 2025年上半期の振り返り
2025年08月26日 ゲスト回BC121 五藤晴菜さんと『書いて考える技術』
2025年09月09日 BC122『私たちの戦争社会学入門』
2025年09月23日 BC123『「書くこと」の哲学』
2025年10月07日 BC124『ランニングする前に読む本』
2025年10月21日 BC125『とっぱらう 自分の時間を取り戻す「完璧な習慣」』
2025年11月04日 BC126 『汗はすごい』
2025年11月18日 BC127『哲学史入門Ⅳ』
2025年12月02日 BC128『NEXUS 情報の人類史』
読み手のプリズム
自分で話していて気がついたのですが、「書き手としても面白く読みました」という発言をよくしています。本を読んでいるときは、意識していないのです。ただ読んでいるだけ。でも、無意識の構えとして「〜〜として読む」というのが働いているようです。
一介の読者として、純粋に読む。同じ書き手として、「書き方」に注意を向けながら読む。その分野の初心者として、教えを請うかのように読む。
このような姿勢・構えの違いで、本から得られる成分というのは違ってきます。
つまり、一冊の本というオブジェクトがあり、そこに自分というオブジェクトが接触したら「内容」という均一のデータが取得できる、というのではなく、あたかもプリズムのように向ける角度によって得られるものが違ってくる、というイメージです。
こういう角度で読んだらこういう面白さがあるし、別の角度で読んだらまた違った面白さがある。
これが読書の楽しみでもあり、またそういう読み方が多くできるほどその本は豊かな内容を含んでいるのだと言えそうです。さらに言えば、他の人に向けて「こういう角度で読んでみたら面白よ」と伝えるのが批評という仕事なのだとも思います。
それとは別の「〜〜として読む」もあります。たとえば「教養書として読む」とか「小説として読む」とか「SFとして読む」とか「前衛小説として読む」といったことです。これも構えの一つですね。こうした構えによっても、読書体験は違ってきます。
たぶんさまざまな読書術(ペンを引く、メモを取る)のもっともっと手間に、こうした「〜〜として読む」という話があるのだろうと思います。
PC環境のアップデートで、音がブツ切れになっていました。再度配信いたします:ご











