ブックカタリスト第三回の倉下メモ
功利主義(ユーティリタリアニズム: utilitarianism)について
行為や制度の社会的な望ましさは、その結果として生じる効用によって決定されるとする考え方。
重要な人物は二人。十八世紀のイギリスのジェレミー・ベンサム(1748〜1832年)とジョン・スチュアート・ミル(1806~1873年)。共にイギリスの学者。ジョン・スチュアート・ミルのお父さんは、ベンサムの友人だったと覚えておくと、二人の世代感覚がわかりやすいかも。
倫理における功利主義
倫理学とは、私たちはどのように行動(あるいは判断)すればいいのかについて考える学門。道徳は、「このように生きましょう」と教えるものであり、前提は決まっておりそれを疑うことはない。その点が倫理学と道徳の違いだと言える。もし「道徳」の授業を受けて、「本当にそれは正しいのだろうか」という疑問が立ったのならば、それが倫理学の始まりだと言える。
ちなみに、古くはアリストテレスが徳に基づいて生きるべし、という倫理観を「幸福論」という形で提出している。
功利主義の特徴
功利主義は四つの特徴を持つ。
一つ目は、行為の評価においてその結果を重視する「帰結主義」。
二つ目は、その結果において幸福を重視する「幸福主義」。
三つ目は、個々人の幸福ではなく全体の幸福を考える「最大多数の最大幸福」。
四つ目は、一人を一人以上には数えない「公平性」。
よく出てくるトロッコ問題は、この考え方を示すのにうってつけの例。1人の命の5人の命ならば、全体としては前者が犠牲になっても、後者が助かった方が幸福が高いと計算できる。もちろん、こうした考え方には批判も多く出ているが、少なくとも功利主義がいかなる理路を用いているのかは、この例によってつかまえやすくなる。
ただし功利主義を認める人(功利主義者)においても、違いは少なからずある。たとえばベンサムは幸福=快楽-苦痛を単純に計算できると考えたが、ミルは快楽と苦痛には質的な違いがあり、単純に量を比べるだけではうまくいかないとした。ベンサムの考え方を量的快楽主義、ミルの考え方を質的快楽主義と呼ぶ。ただ、どちらの立場であっても快楽を計算できると考えている点では同じ。
倉下はこの点に現代の「デジタル」と似たような思考方法を感じる。特にベンサムの思考は非常にデジタル。
時代の流れと功利主義
二人の思想家は、18世紀から19世紀のイギリスで活躍しているがこの時期のイギリスは重要な思想家が多い。さまざまな理由があるだろうが、産業革命による人々の生活と社会制度の変化はその理由の一つとして見逃せない。
王政や貴族制が実質的な権力を弱めていく中で、新しい規範性が社会の中で求められていた。功利主義者たちは、そうした思いを代弁、集約したものだと言えるかもしれない。功利主義の「公平性」は、現代ではもはや前提とも呼べる考え方だが、それは真理でも絶対的事実でもなく、ある歴史の流れの中でなんとか確立されてきたものである。
ただし、時代が進むと、政治と倫理だけでなく、経済と倫理、科学技術・文明と倫理など人間が考えないといけない分野が広がってきており、原初の功利主義ではうまく新しい地平を切り拓けない場面も出てきている。
功利主義も変化し、さまざまな主義・思想とぶつかりながら新しい潮流を産み落としていくことだろう。
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