今回は吉川浩満さんの『理不尽な進化 増補新版』を。
すごく面白い本なのですが、あまりにも土俵が広いので、倉下の説明ではぜんぜんその面白さが伝え切れていない感がいっぱいです。
これはもう、本当に読んでみてください。概要などよりも、まずこの本の論旨を追いかけていく体験そのものが Good & Happy です。
著者は?
著者は、文筆業・編集者さんです。現在は晶文社にお勤めとのこと。
以前『闇の自己啓発』を紹介した回の後半で言及した、『人文的、あまりに人文的』の共著者の一人。「哲学の劇場」という動画番組も。
https://www.youtube.com/tetsugeki
この本は?
本書は「進化論」の本ですが、進化論の一般向け解説書ではありません。むしろ、私たちと「進化論」という概念との関係を扱った本です。
本書は絶滅に目を向けますが、これまでに滅んでいった注目すべき(ないしはひどく奇妙な)生物を紹介する本ではありません。むしろ「絶滅」という現象の方にまなざしを向けています。
まず、この点だけイメージしておいてください。「進化論」の本と聞いたときに、イメージする本とはずいぶん違っていると思います。
目次
まえがき
序章 進化論の時代
進化論的世界像――進化論という万能酸
みんな何処へ行った――?種は冷たい土の中に
絶滅の相の下で――敗者の生命史
用語について――若干の注意点
第一章 絶滅のシナリオ
絶滅率九九・九パーセント
遺伝子か運か
絶滅の類型学
理不尽な絶滅の重要性
第二章 適者生存とはなにか
誤解を理解する
お守りとしての進化論
ダーウィン革命とはなんだったか
第三章 ダーウィニズムはなぜそう呼ばれるか
素人の誤解から専門家の紛糾へ
グールドの適応主義批判――なぜなぜ物語はいらない
ドーキンスの反論――なぜなぜ物語こそ必要だ
デネットの追い討ち――むしろそれ以外になにが<? br> 論争の判定
終章 理不尽にたいする態度
グールドの地獄めぐり
歴史の独立宣言
説明と理解
理不尽にたいする態度
私たちの「人間」をどうするか
文庫版付録 パンとゲシュタポ
「ウィトゲンシュタインの壁」再説
理不尽さ、アート&サイエンス、識別不能ゾーン
反響その一――絶滅本ブーム、理不尽な進化本ブーム
反響その二――玄人筋からの批判
私たちは恥知らずにならなければならないのか
あとがき/ 文庫版あとがき/ 解説(養老孟司)/ 参考文献/ 人名索引/ 事項索引
倉下メモ
グールドが必至にこだわったこと、そして彼が(論争として)敗北し、今はもう話題にならなくなりつつある現状。結果的に、本書はそれを重点的に取り上げることになった。まるでグールドがそうしたのと同じように。
グールドの試みは、片方では学問的(サイエンス)であり、もう片方は心情・情理的(アート)であったと言えるのかもしれません。私たちは、その二つの間を揺れ動きながら生きています。
もう一つ、"自然淘汰は「自らの足跡を消す」"という点。これは非常に応用が広い「道具」だと言えそうです(なにせ「進化」は森羅万象にまで適応できるコンセプトです)。
たとえば、以前取り上げた『実力も運のうち』で言及されている能力主義者の傲慢ですが、それは「自分の人生が別様なものであったかもしれない」という想像力の枯渇から生じていると考えられ、それまさに競争社会(市場主義フレームの上に乗っかる厄介なコンセプト)が、他の競争相手をことごとく消し去ってしまうから、という見立てもできるでしょう。
「そうであったかもしれない」「そうであるのかもしれない」
そのような想像力は決して気持ちよいものではありません。快に満ちあふれるものではありません。しかし、あらゆる倫理観は快を充填するものではなく、むしろいつでもそこには後ろめたさがつきまといます。数字やロジックでは「割り切れない」ものが残るとき、それが倫理的な判断や行動として立ち現れるのでしょう。
みたいなことを、いろいろ考えたくなる一冊です。
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