今回は、二人とも読了していた『現代思想入門』(千葉雅也)について二人で語りました。
現代思想?
フランス現代思想。1960年代〜1990年代。ポスト構造主義とも。
まず「現代思想」と言うが、2020年的な現代の思想ではない。2000年よりも前である。にもかかわらず、その思想はまさしく現代を射程に捉えている。哲学者が、その時代の「現象」を深く思考している証左であろう。
また、フランス現代思想は「ポスト構造主義」として説明されて、(ポストは「後の」という意味なので)、この手の本は「まず、構造主義について説明します」という段取りが一般的なのだが、本書ではずばりとデリダから説明に入っている。実に潔い。
時系列を追いかける「史」の形ではなく、思想を直接的に追いかけているイメージ。また、この時系列に縛られない話の組み立ては、「ツリー構造」からの逸脱としても捉えられる。本の内容(構造)自体が、その思想を体現している、というわけだ。その意味で、非常に実践的。
中心的な三人
本書ではフランス現代思想を中心として、その周囲の人たちもたくさん登場するが、やはりメインに据えたいのはデリダ、ドゥルーズ、フーコー、の三人。この三人の思想は、まず「面白い」。倉下があまのじゃくなせいもあるだろうが、「脱構築視点」は実にしっくりくる。
というか、この三人の思想を「脱構築」という概念で括ってみせた(因数分解のようだ)著者の手腕は圧巻と言わざるを得ない。これまでバラバラに位置づけられていた概念が、ある「図」(座標)のもとに統一されたかのような感覚がある。きりきりに冷えた炭酸のような爽快感。
「知的生産の技術」の観点で言えば、デリダの脱構築は新しい概念の創出に役立つ。ドゥルーズのリゾームはネットワーク型の情報ツールの可能性を(あるいは、一人の人が多用な属性のもとで情報発信していく可能性を)提示し、フーコーはテクノロジーが持つ監視力が、個人に内面化される危険性と、それとナチュラルに寄り添う「自己啓発」の危うさを示してくれる。
デカルトの『方法叙説』はライフハック本として読める、という話があるが、上記を踏まえればこの三人も実にライフハック的である(本書でも同様の視点が語られる)。
個人的に特に重要だと感じるのはフーコーである。「自己のテクノロジー」は、ますます現代で重宝されるようになっている。しかしそれは手放しで喜べるものではない。拙著で「ノートを不真面目に使う」と説いたのは、自己のテクノロジーをまったく決別して生きるのではなく、しかしそれと一定の距離感を置くための一つの方策である。
応用性のありかた
ごりゅごさんのお話を聞いて、書き手として一番「ほぉ〜」と思ったのが、具体例を提示してくれているおかげで、自分でも他のことに応用できるのではないかと考えられた、という話です。
詳しく書くと長くなるのではしょりますが、この「抽象性と応用」というのは個人的な課題の一つです。つまり、ある知識はそれが抽象的であるほど応用しやすいので、できれば抽象的に伝えたいが、それではわかりにくい。しかし、具体的に伝えるとわかりやすいかもしれないが応用性がなくなる、というジレンマがあるわけです。
でも、上記のジレンマは間違った構図というか、間違った問題化だったのでしょう。読み手の発想を刺激する具体性の提示の仕方があるわけです。というか、徹底的に具体的であるからこそ到達できる抽象性というのがあると捉えた方がいいかもしれません(その意味で、単に具体的であればいいわけでもない)。
なんにせよ、千葉雅也さんの本には、毎回書き手として強い刺激を受けます。
BC037『現代思想入門』